憂うつな気分に陥ったときの外的アプローチ

はじめに

憂うつな気分に陥ったときに、大抵の場合、
「考え方を変えろ」
「違う、そうじゃない」
「もっと明るく!」
など、「精神面や思考法からのアプローチ」を投げかけられることが多いかと思われる。

考え方を一瞬で変え、しかも結果が即座に良い方向に反映されれば、それに越したことはないが、そうも行かないのが人間という生き物である。 ここ最近、私自身は悲観思考からは抜けれないながらも、1ヶ月前よりは生産的な活動ができている気がするので、書き留めておく。

外的アプローチ

内側(精神面)を変えようと、がむしゃらに頭の中で思考の試行錯誤をしたり、 逆に瞑想をして何も考えないようにする。といったことしてきたが、さほど改善される様子はなかった。 しかし、以下の3つを継続したり、少し間が空いてもいいから実践すると、意外と良くなっている気がする。

運道

ジョギングなり、筋力トレーニングのサーキットトレーニングをする。無理のない程度に。

ジョギングは本当にふざけたレベルで、歩いているのと同程度の速度しか出ないくらいの歩幅で走る。足を動かすテンポはややゆったりめである。 筋力トレーニングのサーキットトレーニングは、少し息が上がったり、頭が軽く痛くなったらその時点で数分休む。 それまではひたすら同じ運動をとりあえず疲れるまで動かしたら、すぐに別の運動を行う。ということをしている。

筋力トレーニングのときは、音楽に合わせて身体を動かすと、気持ち楽しくなる。

ヨガ

私はそこまで難しいポーズはしていないし、半畳あればできるポーズだけをやっている。

  • 猫ねじりのポーズ

  • ラクダのポーズ

  • ムール貝のポーズ

ヨガっぽいことはこれしかやってない。しかも寝る前のみ。

目標は30秒以上ポーズを行うことだが、急ぐと肉離れを起こしかねないので、
「ポーズが決まっていなくても真似する」
程度にとどめ、30秒伸びてる部分を意識しながら、力んでる部分はできるだけ力を抜くように努めて、 頭の中は「のびーるのびーる」なり「うんあーっ」なり「ゔぇあぁー」という、身体が伸びる擬音で頭をいっぱいにする。

サウナ・入浴(温冷交換入浴)

「いや、もう身体を動かす意欲もない」

気持ちはよく分かる。自分もそんな時期があった。そういうときはこれだ。

しかし、若干入浴方法が特殊かもしれない。 サウナの場合は、

  1. 6分から12分ほどサウナに入る

  2. 汗を洗い流して水風呂に10秒から60秒浸かる。冷たいシャワーでも可能

  3. 水分を取って5分から15分休む

以上を4回ほど繰り返す。浴槽にお湯を張っての入浴も、

  1. 20分から40分ほど湯に浸かる

  2. 冷たいシャワーを浴びる

  3. 水分を取って5分から15分休む

以上を3回ほど繰り返す。 理屈的には、このような温冷入浴を行うと、自律神経を刺激するので、精神的疲労も抜けるとかなんとかとのことである。

まとめ

最終的には、頭の中を支配している悩みごとが解決しないことには憂うつな気分からは逃れられないだろうが、

  1. 運動

  2. ヨガ

  3. サウナ・入浴

頭が上手く働かないのであれば、身体からアプローチするのも一つと思う。

人間の身体というのは面倒くさい作りになっているようで、
「身体を動かさないと眠れない作りになっている」
と、ラジオで90歳以上の産婦人科医の先生がある番組のコーナーで言っていた記憶がある。

身体を動かす気力もない場合、熱い環境と冷たい環境を短時間(1時間のうちに2, 3回とか)で何度も切り替えて、自律神経を刺激してやると、何かが変わるかもしれない。

「かもしれない」程度の言葉なので、一度、
「騙された」
と思って実行していただければ幸いである。よっぽど無理しないと死にはしない。

複数の外的アプローチが加わると、なお効果的かもしれないし、内的アプローチの作用も向上するかもしれない。

蛇足

ここまで書いたものを見返して思ったのが、
「現代人は『学習性無力感』に抗えるかが生きるためのコツかもしれないなあ」
と思った。

この間知り合ったWebライターさんがこんなことをTwitterで投稿していた。

> どうせ頑張っても無理……と何に対しても無気力になってしまうことを学習性無気力というのですが、これは小さな成功を経験すればいくらか和らぎます。

僕にとっての小さな成功経験は自分で自分の髪をカットできたことでした。こんな感じで、成功経験ってのはなんでもいいんです。

山田ユウキ@webライター

私のような性根の腐っている人間は、ちょっと筋力トレーニングができたり、ちょっとヨガができたり、ちょっとサウナと水風呂を行き来した程度では、
「頑張ったけど、これしかできなかった」
となりがちである。嫌でもなるのか好んでなるのか。多分好んでなっている。

なぜその様な感情に好んでなるかと言うと、学習性無力感に陥った状態から無力感から脱しようとする行為・思考自体が、 一つの強大な心理的負荷なのである。

人間であるなしかかわらず、生き物は大抵安定した環境にいると、その場から離れられなくなると私は思う。 もしくは学習する(してしまう)動物は、学習性無力感に陥るとも私は考える。

家畜として買われている牛や、子供の頃から鎖で繋がれた象がまさに「学習性無力感」に陥った人間以外の動物の例として的確だろう。

自己主張の学習性無力感

ともあれ、学習性無力感は自己主張の怠慢や、さらに悪化すると、漠然とした感情や思考の具体化の怠慢にも繋がり、
「なんかよくわからないけどゆううつなきぶんになりがち」
というより、もはやそういった言葉も出ず、
「うんあぁー」「ぐにゃぁー」
というような擬音語や擬態語を脳内で反芻するだけとなる。

そんな風になると、もはや文化的な社会生活を送れるとは私は思えない。

文化的な社会生活ができなかったとしてもだ、抑うつ的な擬音語や擬態語が脳内を圧迫しているその状態では、 自己の感情の主張を暴力で主張する意欲も失せているので、もはや生存活動の放棄をするしか、私には選択肢が思い浮かばない。

自己の感情の具体化の鍛錬

とはいえ、私の主観から言わせてもらうと、人間は曲がりなりにも文化的な生活をする権利をもはや義務のように与えられているため、 文化的生存活動はしなければいけない。であれば、 上手い下手や 地位名誉財産になるかどうかは置いておいて 、 自己の感情を表現・伝達する方法を、 改めて 探さなければならないと私は思う。

絵・文章・物語・音楽・歌唱・映像。なんでもいい。

私もこんなくっだらない文章を、誰の役に立ち、自分の地位名誉財産に繋がる訳ないと思いつつ、 自己の感情の具体化の鍛錬として、再開した。

ロボトミー手術で自我を摘出されることが許されず、己の自我を完全に捨てきれないで社会に適応できないし、 死ぬ勇気もないというのなら、他人と比較して優位になることをいい加減諦めて、自我をさらけ出したほうが、私はよっぽど苦しまない気がする。

鍛錬 ―漠然としたものの解像度を上げる―

まえがき

30歳近くになって、メモやコンテなどの手法による頭の中のアウトプットの仕方が分かり始めたきがして、もっと早く知りたかったと思う。 もっと自分の頭の中を手軽(紙と鉛筆ないしペンによる方法)な出力方法を知っていれば、 もっと若い頃(12歳とかそこらのうち)に妄想をたくさんアウトプットできたと思う。

私の過ち

道具というか、最終的な出力目標(電子データによる配布可能な媒体)にダイレクトに出力しようとして今までの人生を無駄にした気がするのである。 更にいうと、8歳頃から既に最初から自分の脳内のドチャクソ美しい映像・音楽・画像・文章を完璧にアウトプットしようとしていたから、毎度ものを作る度に萎えていたし、その結果何も作らなくなってしまった。 ラフでもいいので、作りたいものの断片を作っておき、後(1時間後でも1週間後でも1ヶ月後でも1年後でも)で完成に近づける。 そういうアプローチが、なぜできなかったのかずっと悔やんでる。

なぜ誤ったのか

思い当たる節としては、完成にダイレクトに到達できれば期間短縮に繋がると思い込んでいたのだろう。 中間に出すラフや下書きの類はどうせ破棄するのだから、最初からそのような工程を省けば最速で完成できる。そう思い込んでいたのだろう。 僕みたいな一般人類よりも劣っている知的生命体は、そもそも最初から完成品を作れるような能力を持ち合わせていなかったし、それを身に着けようともがいていた事そのものが間違ったアプローチだと早く気づきたかった。

私が正しいと思うアプローチ

最終的には、
自分の能力を適切に判断し 、適度に諦め、今後の自分に期待しながら鍛錬を積み重ね、その時その時にできる最高の作品を作り上げる」
というのが、多分苦しまない創作の方法だと思った。
武井壮理論になってしまうが、
「思い通りに頭の中の情報(妄想・感情)を表現できれば、創作なんて簡単」
なのだ。

まとめ

なので、心の中で言語化も映像化も音声化もできない「何か」を、そのままにせず、 日々・刹那の繰り返しの中でも、 その「何か」を頭の中でいいので形にする鍛錬 を怠ってはいけない。

あとがき

私は努力という言葉が嫌いである。主観的努力の度合い・客観的努力の度合い・そして結果が伴った私自身の体験が希薄だからだ。

英単語を80個、それぞれ120回を、一晩徹夜して、過労で胃の内容物を吐き戻してでも書ききったら、翌日には覚えるのか。私は覚えなかった。 漢字を74個、それぞれ50回書いたら、その漢字の読みや意味を一晩で覚えるのか。私は覚えなかった。

中学校の長期休暇明けのテストと、合格するまで放課後に再追試するあの制度は、ただの統制維持のための拷問にしか思えなかった。 教員に逆らったり、教員の期待に沿う成果を発揮できなければ、罰せられるという印象をよく擦り付けたと思う。

本来であれば、従順な生徒たるものは長期休暇中も努力し、単語・漢字を覚え、教員に怒鳴られて自己肯定感を皆無にすることを避けるという賢い選択をするのだろう。

私は今になっても、この長期休暇後の100問テストというやつの意義がよくわからない。

お察しのとおりだが、そのため英語や国語はとてつもなく嫌いな科目だった。数学に至っては解き方が分からなければ何もできないのでもっと嫌いな科目であった。

今は幸い国語(言語学的な側面)や数学・物理・科学・英語とは切っても切れない関係となった。

英語が読めなければ最新の技術は取得できないし、数学ができなければ効率の良いプログラムなんて書けないし、構文解析装置について考える必要があれば、国語は必須である。

主観的に努力したって、客観的努力が伴わなければ評価されず、更にいうと結果が出なければいずれの努力も無駄だったと評価される。

だが実際、世の中結果でしか評価のしようがないのである。 であれば、途中経過でも良いから、短い期間で出力できる結果を残さなければ、何も評価されないのだ。その評価する審判が自分であろうと。

いつものうだうだ

今日もなにも考えずにコワーキングスペースに来た。

ふと、ブログと言えるのか全くわからないこいつの存在を思い出したので、たまにはなにか書こうと思った。 なお、エディタはDOOM Emacsである。

そんなことをしながらQiitadonを眺めていると、これからしばらくの年号は「令和」となったらしい。

私個人の感想を述べると、
「従順に政府の言うことに従う民が和を重んじる」
という印象を受けてしまっている。
全くの余談だが、私の脳裏にナルシストサイコパスガスライターの知人が、
「やはり日本政府は帝国時代の日本を復活させようとしている! 君たちが 声を挙げないと!」
とか宣ってる。
「ほざけ、どあほ。そういうのなら、あんたが仮想通貨で一儲けした資金で政治家か宗教団体でも作ってろ」
と、脳内にこびりついたナルシストサイコパスに悪態をつく。

私個人の感覚からしてみれば、このナルシストサイコパスガスライターに付き合いたくないのに、 あちらから毎度這い寄ってくるのでCoderDojoに行くのをためらっている。

あいつのお花畑発想に付き合いたくもないのに、あいつは誰にも相手にされなかったから、 少し相手をしてしまった私にずっとすり寄ってきて、鬱陶しい。

その上お得意のガスライティングで私の認知を今以上に歪ませようとしている。

はっきりいって、私には害悪でしかない。そして、そんなナルシストサイコパスガスライターが、 子供達にプログラミングの手ほどきをしているという行為にさえ嫌悪感を隠せない。

だから、私はCoderDojoでの活動を、CoderDojo憲章が尊重できそうにないので、休止している。

CoderDojoの憲章にも書いてある。

> 性別、人種、性的指向、信念、宗教、能力に関係なく、ボランティアや子ども達を歓迎します

CoderDojo 憲章 - CoderDojo Japan

私は彼奴を歓迎できない。

とっくの昔に心は歪み切ってしまっているが、彼奴の思想からくる他人を全く悪びれることもなく 他人のプライベートに介入し、平気で第三者に触れてほしくないことを言いふらし、挙げ句に ガスライティングないしマインド・コントロールを仕掛けてくる彼奴を、 他のメンター仲間やニンジャたちのように受け入れることができなくなった。

だから私は、CoderDojoのメンターになる資格はないのだ。

そして、唯一の慈善活動はもとより、労働に関しても自律神経をおかしくしやすく、 数ヶ月働いただけで使い物にならない私は、本当は生きる資格なんてないのかもしれない。

Nimで作りたいものをつらつら書くだけ

この記事は Nim Advent Calendar 2018 - Qiita の22日目の記事です。

皆さんバッチリNimに関するノウハウを書いていらっしゃって誠に恐縮ですが、私は「Nimで作りたいもの」をつらつら描きます。

この記事の筆者はPythonなんていう生ぬるい言語を触りながら、C++1xの仕様の改良に 「おや、これ、私もC++できるのでは?」 という妄想をするにわかNimファンです。

それでもなぜNimを使おうとするのか

言わんでも分かるでしょう。

Features | Nim を真に受けてますよ。

だからこんなPythonなんていう生ぬるい言語使いが、 「Cythonもいいなあ」 と脇見しながらNimを使ってみようかと思ってしまってるのですよ。

本題

さて、本題です。

もう作りたいものが多すぎます。これから書くことはただの絵空事です。妄想です。作るとは言ってないです。

CoderDojo受付システム Touryumon (登竜門)

私は趣味で CoderDojoSapporo DojoSapporo East Dojo で子どもたちにプログラミングを布教してます。

その活動自体は特に問題ないですが、ちょっと不満がプログラミングを教える人たちの上がっている事としては、 「 Connpass もいいっちゃ良いのだけど、ちょっとかゆいところに手が届かないのだよなあ」 ということで。

作るか。

と思ったのですよ。当初の予定では。

良い点

なんでって、そりゃあ、

  • コンパクトなバイナリを吐き出せる → 環境構築がそこまで手間がかからないのでは?

  • Pythonに近い文法だから、割といけるのでは?

  • さくらインターネットさんから CoderDojo Japan に提供して頂いているクラウドマシンでも十分に動くものを作りたい。

悪い点

と思いましたが、自分でちょっと「待った」をかけました。

  • Pythonに近い文法とはいえ、ちょっと難易度高いのでは?

  • やっぱ自分、そこまでNimのこと分かってないわ(先週までプラグマの使い方が分からなかった)

  • 何より 子どもたちにも触って遊んでほしい ので、ちょっとハードルが高すぎるのでは……!

いや、Nim教えればNimできるようになるかもしれませんが、俺がNim分かってないんだもん。難しくね?

ということで、Nimでの開発を断念し、サーバーサイドはPython, フロントサイドは CoffeeScriptElm 使うかなーと漠然と考えております。

Linuxでも動作するBMSプレイヤー

お、BMSをご存じない? BM98もご存じない? きっと1990年世代じゃないか、もっと素敵なコンピューターライフを送ってたのですね!

簡単に言うと、パソコンでできるコナミ音ゲーっぽいやつです。

これの売りは 「譜面・楽曲データを作れること」 です。

BMSのファイルフォーマットは 公開されております 。やねうらお先生とNDK先生は偉大ですね!

更に言うと、最近 BMSON という JSONベースのファイルフォーマットも出てきたので、27歳派遣プログラマのおじさんは、正直「おぅ……」ってなってます。

なんで作りたいかって、そりゃああなた、中学時代に O-SE さんのサウンドとか nixx さんのサウンド聞いて、エレクトロミュージックにドハマリした人間としてはなあっ!

なお、ライブラリ(エンジン?)としては frag を利用する予定です。

「知ってるか? 手榴弾はピンを抜いた瞬間にお前の友達ではなくなるんだぞ」 「 `Step Mania <https://www.stepmania.com/>`_ は調査したのか?」

MMLファイルフォーマットをMIDIに変換して音を鳴らすなにか

MMLという音楽記述言語というのかフォーマットがあるんですよ。

ぱっと探したところ、Linuxでそれの音を鳴らせるものはないんですよ。

個人的には速攻でサイン波でも矩形波でもいいからメロディ鳴らせたらいいなと壮大な夢を考えましたが、 まずMIDIに落とすところからやるかと思ったり。

既にありそうですけどね。


なんかここに上げたもの既にありそうなんですよねえ……。

後は気が向いた時にワンボード・マイコンとかのプログラミングとかしてみたいですね。

よろしい、ならば布教だ ―遠征は楽しい―

この記事は FuraIT Advent Calendar 2018 - Adventar の10日目の記事になる……はずでした (風邪で寝込んでいた上、 CoderDojoのAdvent Calendar とブッキングしてた。)

はい、言い訳はこんなところで良いですかね。 自己紹介?

自己紹介

まんじゅ(´ん`)さんです。

UbuntuとCoderDojoの布教をしてます。

この記事を執筆している時点では、 札幌 関数型ミートアップ というイベントで、 Spacemacs を使って書いてる一般人です。

初FuraITでした

写真は後日!

Facebookで tomio2480 さんが、 「誰かDockerを教えられる人は居ないかあ」 と助けを求めていたので、 「どーれどれ、おじさんが手伝いに行こうかあ?」 と言ったら、本当に行くことになってしまった。嬉しいけど。

ぶっちゃけ「楽しかった」しか感想が無いんだよなあ。

田舎で勉強会をやる意義について

少しおじさんの話しようか。

僕は北海道は別海町というド田舎の酪農家の家で、X68000を持つ父親の元に生まれた。

友達は居たが、ぶっちゃけ「CPUの創りかた」を読んで、熱く語り合うようなのは居なかった。

ましてや、そんなド田舎でUbuntuとPythonに出会えた事が奇跡なのかもしれない。

それでも、仲間が居たほうがいいのだ。

できれば早いうちに。

いくら、 「一人ぼっちの惑星でひたすら電波を飛ばす」 だけでも、自分の存在を自分で証明できていたとしても、寂しいよな。

だから、僕はそんなど田舎でもコンピューター少年になってしまった少年少女たちの、友達になりたいと思う。

友達になって、僕から君たちのところに行けるようになりたい。いや、なる。

こんなコンピューターおじさんでよければだけど。

そう思って、CoderDojoを、道東とかで出張Dojoという感じで、できたらなとか思ったり。


そんな決意を改めてさせられる、FuraITでしたよ。 うん。

なんか駄メンターとしてやりたいこと

自己紹介と謝罪

どうも。勝手に coderdojo-japan.social なんていうドメインをとって、 Mastodon的マイクロブログサービスの運営をしようとした駄メンター、まんじゅ(´ん`)です。

もちろん、この件に関しては札幌東DojoのChampionからご指摘をいただきましたので、 その後サービスは閉じております。

サービスを勝手に立ち上げたことは後悔はしていますが、反省はできておりません。残念ながら。

とりあえず、ここからの記事は、こんなふざけた27歳のプログラマがつらつらとなんか書くだけなので、 期待しないでください。

はじめに

この記事は、 CoderDojo Advent Calendar 2018 - Adventar の10日目の記事になり……ませんでした。(風邪で寝込んでおりました)

ここからは非常にふざけた姿勢で、ただ単純に自分の承認欲求を満たすためにCoderDojoに参加している、 いわば「駄メンター」ないし「堕メンター」が、今後何をやっていきたいかをとりあえず書き残して置きます。

当初は、デジカメのRAW撮影と現像について書こうかと思いましたが、色々思うことがあったので予定を変更しました。

駄メンターのやりたいこと

ということで早速本題に入ります。

クリエイティブコーディング

あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが。

コンピューターは別に、 「事前に組んだプログラムしかできない」 とか 「即興で何かできるものではない」 という考えを壊して行きたい所存です。

ということで、定期的に TidalCyclesFoxDotveda や、 Python Mode for Processing でライブコーディングしてみたいなと思ってたりします。

Scratchでライブコーディングしても面白そうですね。

パソコンとフリーソフトウェアで創作活動

ど素直にいうと、一番はこれを子どもたちに伝導(?)したいです。

もともと僕がプログラミングを初めたきっかけは、 「ビデオゲームを作りたい」 というところでしたので。
ついでにいうと、プログラミング初めた当初に友人から言われたのは、 「よし、俺が監督するから、お前はグラフィックと音楽とプログラミングとシナリオやれな」 と言われたため、全部できないこともないです。

僕の感覚だと、5万円ちょっとあれば、部屋を汚さずに落書きはしほうだい、いろんな楽器の音を鳴らしたりできる。こんな便利な環境は無いでしょう。

ということで、ぼちぼちやってます。

コンピューターの偉人伝

僕はプログラマやソフトウェアエンジニアのエッセイは大好きです。

なので、そんな素晴らしい人たちのことを紹介せずにはいられません。

ということで、ぼちぼち、 「こんな面白い人がいるんだよー」 という話もしていけたらと思います。

Ubuntuディスクの配布

あまり食いついてくれる子がいないので最近はイメージディスクを焼いていませんが、Ubuntuの配布・布教も積極的にやってるつもりです。

大人も人間であることを示す

自己紹介と謝罪 で申したとおり、僕はふざけた27歳です。子どもに対しても普通にキレます。怒鳴りはしないけど。

なぜかというと、そういう接し方をしたほうが、むしろ子どもたちに変な気を使わせない気がしてるからです。

そもそも 「なぜ子どもに気を使わせたくないか」 という話ですが、信じられないと思いますが自分が割とそういう人間だからです。

結局相手の話を聞いて、聞いて、機嫌を損ねないように付き合って……。

なんかそんなことをしていたら、疲れてしまったらしく。いつの間にか眉毛を抜くくせが出てきたり、精神科に通って薬を飲まないと床に頭を叩きつけるような精神状態になっておりました。

なので、子ども達にはできれば自分を思いっきりアピールしちゃっても良い環境づくりはしているつもりです。

なんていったって、自分の感じてきた嫌な気持ちや疎外感や孤独感を、子どもたちに味わってほしくないので。

そうやって接していく過程で、私は大人同士のやりとりでも距離感が掴めなかったり、 自己紹介と謝罪 のような変な行動をしてしまっているのが最近の自分ではありますが。許してもらおうなんて思ってるつもりはないですよ? これでも。

まとめ

最後はまるで良いこと言ったみたいな感じの文章を書いていますが、やっぱり、 「コンピューターそのものも楽しいし、コンピューターでものづくりするのも楽しいし、コンピューターに関わる人たちも楽しい人がいる」

ということを、ただ伝えたいだけなんですよ。ぼかあ。


さて、カレンダーの並び順通りだと、次は togazo - Adventar さんなのですが……。

他の皆さんのカレンダー記事も、僕なんかより素晴らしい記事だと思いますので、是非見てください。

CoderDojo Advent Calendar 2018 - Adventar

マシュマロにアヒルのような脚が生えているそれに関数をぶん投げて演算させたい

はじめに

この記事は「ドイツのトリ Advent Calendar」の1日目の投稿になるはずでした。

なお、僕はドイツのトリがどうして一部でここまでのムーブメントが起こっているのかよくわかりません。 ミリしらの可能性もあります。

そして、この記事は僕がこの世界をどのように解釈したいのかという話をだらだらしていくだけです。

ダッグタイピング

「アヒルのように鳴いてアヒルのような格好をしていれば、それはアヒルだ」

そんな言葉があります。

しかし、 「ドイツのトリ」 で画像検索をすると、 「アヒルなのだろうけど確証を持ってアヒルとは言えない、アヒルのような脚の生えた動物」 の写真を見ることができます。

アヒルと確かめてみたいので

まるで、 「現地に飛んでいったのかという」 書き方をしていますが、残念ながらそうではありません。

この「ドイツのトリ」という、現在は謎の生物がもし私の前にいたと仮定して話を進めます。

命令する。念じる。

僕はドイツのトリは脚が生えているので、 「鳴いて」 と命令、もしくは念じます。

鳴きません。

次に、 「ドイツのトリはきっと頭を隠しているだけだろう」 と思ったので、 「こっちを向いて」 と命令、もしくは念じます。

向いてくれません。

こうして、ドイツのトリは、アヒルという動物の具象から、「ドイツのトリ」というアヒルではない動物 ということがわかりました。

次に行うことは、きっとゆっくり近づいてみるといったアクションをして、具体的に「ドイツのトリ」が どんな姿をしていて、どの動物に似ているからカテゴライズする。というアクションを僕は取るでしょう。

まるでダックタイピングプログラミング(きっと)

今までの話で何が言いたいのかというと、 「世界ってダックタイピングプログラミングっぽいよね」 という暴論です。
「君、踊って」 と命令したり、 「雨よ止んで」 と願ったり。

じゃあ、プログラミングもそういう風にできないのかな? と私はつい思います。

主語抜け会話

私は会話するときに主語がよく抜けてます。多分苦手な人を結構苛つかせるレベルで。

でもそれは、日本語という言語の仕様がそれを寛容しているし、それで会話も成り立つ、表現性の高い 言語ではあるという話しにもなりません? ならないか……。


なんか書いていて、話のつなげ方がわからなくなったので、オチを書くと。

  • なんか自分は関数型パラダイムを日常会話で使ってる

  • 関数型パラダイムに適した言語は無いか(日本語では限界を感じ始めた)

  • ロジバンとかいいよね、S式に分解できそうだし。

ってことで、はじめてのロジバン 第2版 - はじめてのロジバン第2版 読んでください。使ってください。気さくにこの言語で挨拶しませんか?

以上、お粗末でした。

Smalltalk のメッセージと、Scratch の読みづらさ

先日の CoderDojo 稽古終了後の一幕、他のメンターさんにたずねられた

「Scratch のメッセージって、Smalltalk 由来?」
「確かそうだと思いましたけど」

と答えると。

「いやね、子ども達なりに工夫しているのはわかるのだけど、スクリプトを分割してて、あっちこっちに飛んでて、子ども達自身もわからなくなってしまっててね」

そして興味深い一言、

Smalltalk のメッセージタイプのオブジェクト指向の弱点が、Scratch で顕著に現れてしまったのかもね」

ほほう、興味深い。

ということで個人的にちょっと考えてみました。

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ダサい生き方しかしていない件について

「本当に自覚してるの?」
と尋ねられれば多分自覚していないからこんなこと書いてるのだとは思う。
「わかってるよ」
と言ってるが、その実分かってないから繰り返してるし、直せないのであって。

と言うような長編ポエムをダラダラ書く。

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Blender立ち上げる前に……絵コンテ描こうな!

この記事は、 Blender Advent Calendar の 22日の記事の……はずでしたっ!(また遅れた)

前回 はBlenderに役立つと思う検定試験の紹介をしました。

しかしながら、検定試験で自信をつけて書籍をいっぱい読んでも、Blenderで理想的なモデルを 作れるようにはなりません。

とはいえ、
「Blenderは毎日立ち上げて毎日モデリングしている。なのに理想のモデルができない! コレジャナイ!」
という方はたくさんいらっしゃると思います。私もその一人のつもりです。

そんなときどうすればいいのかって話なんですが。一概にこれが正しいわけではないのですが、 モデリングしたいものをまず2次元に描き起こすことをおすすめします。

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