マシュマロにアヒルのような脚が生えているそれに関数をぶん投げて演算させたい¶
はじめに¶
この記事は「ドイツのトリ Advent Calendar」の1日目の投稿になるはずでした。
なお、僕はドイツのトリがどうして一部でここまでのムーブメントが起こっているのかよくわかりません。 ミリしらの可能性もあります。
そして、この記事は僕がこの世界をどのように解釈したいのかという話をだらだらしていくだけです。
ダッグタイピング¶
「アヒルのように鳴いてアヒルのような格好をしていれば、それはアヒルだ」
そんな言葉があります。
しかし、
「ドイツのトリ」
で画像検索をすると、
「アヒルなのだろうけど確証を持ってアヒルとは言えない、アヒルのような脚の生えた動物」
の写真を見ることができます。
アヒルと確かめてみたいので¶
まるで、
「現地に飛んでいったのかという」
書き方をしていますが、残念ながらそうではありません。
この「ドイツのトリ」という、現在は謎の生物がもし私の前にいたと仮定して話を進めます。
命令する。念じる。¶
僕はドイツのトリは脚が生えているので、
「鳴いて」
と命令、もしくは念じます。
鳴きません。
次に、
「ドイツのトリはきっと頭を隠しているだけだろう」
と思ったので、
「こっちを向いて」
と命令、もしくは念じます。
向いてくれません。
こうして、ドイツのトリは、アヒルという動物の具象から、「ドイツのトリ」というアヒルではない動物 ということがわかりました。
次に行うことは、きっとゆっくり近づいてみるといったアクションをして、具体的に「ドイツのトリ」が どんな姿をしていて、どの動物に似ているからカテゴライズする。というアクションを僕は取るでしょう。
まるでダックタイピングプログラミング(きっと)¶
今までの話で何が言いたいのかというと、
「世界ってダックタイピングプログラミングっぽいよね」
という暴論です。
「君、踊って」
と命令したり、
「雨よ止んで」
と願ったり。
じゃあ、プログラミングもそういう風にできないのかな? と私はつい思います。
主語抜け会話¶
私は会話するときに主語がよく抜けてます。多分苦手な人を結構苛つかせるレベルで。
でもそれは、日本語という言語の仕様がそれを寛容しているし、それで会話も成り立つ、表現性の高い 言語ではあるという話しにもなりません? ならないか……。
なんか書いていて、話のつなげ方がわからなくなったので、オチを書くと。
- なんか自分は関数型パラダイムを日常会話で使ってる
- 関数型パラダイムに適した言語は無いか(日本語では限界を感じ始めた)
- ロジバンとかいいよね、S式に分解できそうだし。
ってことで、はじめてのロジバン 第2版 - はじめてのロジバン第2版 読んでください。使ってください。気さくにこの言語で挨拶しませんか?
以上、お粗末でした。